翻訳によって異文化を乗り越える 伏怡琳(フー・イーリン)トークショー その①「受容化」と「異質化」について

2月24日、我が社の中国チームが誇る名翻訳家、伏怡琳(フー・イーリン 以下、ふーさん))さんのトークショーが開催されました。
ふーさんは主に文藝翻訳を専門としつつ、NHK国際放送の中国語キャスターを長年務め、フリーのナレーター、コピーライターとしても活躍中のマルチプレイヤーです。
(ふーさんのプロフィールはこちらから:https://surprise-enterprise.com/ja/about-us/)
場所は銀座の単向街書店(たんこうがいしょてん)。「中日文化のハブとなる」をコンセプトとした、独立系の素敵なお店。

この日のテーマは、
「翻訳によって異文化を乗り越える 〜吉田修一著 『国宝』翻訳者の試み〜」

『国宝』の作者、吉田修一氏の作風は純文学からエンタテイメントまで幅広く、「それぞれ別人が書いているよう」とも評されるほど。数々の文学賞を受賞されていますが、初めての芸道小説である『国宝』(2019年)も芸術選奨文部科学大臣賞と中央公論文芸賞を受賞しました。

本書の幕開けは、なんと極道の組の派手な新年会です。そこに敵対する組の集団が日本刀を振り回しながら乱入、長崎弁の怒号が飛び交う、血生臭いシーン。
主人公は故郷を逃れ、大阪の歌舞伎役者の元に引き取られます。そこで出会う終生の友は、名門の御曹司。日本の高度経済成長期を背景に、数十年に渡り大波が寄せては返すような、彼らの絶望と歓喜、挫折と栄光の物語。
冒頭のヤクザの出入りで一気に上がったテンションが緩むことなく、夢中で彼らの人生を追いかけるうちに辿り着く大団円は、思いもよらぬものです。

歌舞伎の世界を深く掘り下げ、演目の詞章もふんだんに引用されている『国宝』は、この日のテーマ「翻訳によって異文化を乗り越える」に相応しい作品だと思います。
では、ふーさんは一体どのように翻訳作業を進め、異文化を乗り越えたのでしょう。

「国宝」の話に入る前に、翻訳に際しての前提として「受容化(domestication)」と「異質化(foreignization)」について説明がありました。
これはアメリカの翻訳研究家、ローレンス・ヴェヌティ(Lawrence Venuti)が著書(『The Translator’s Invisibility: A History of Translation』1995年)の中で論じた概念です。

「受容化」翻訳とは、読み手が違和感を感じず、すらすら読める訳文。つまり読み手側の文化に適応し、寄り添う形です。逆に「異質化」翻訳には “翻訳された感”があり、読み手は違和感を覚え、異文化を感じます。

受容化と異質化は、読み手側の文化に焦点を当てた、アプローチの手法だとお考えください。
例えば、広告宣伝では「受容化」が最適です。日本人にハワイの観光地を宣伝したければ、“日本人がイメージするハワイ” に思い切り舵を切った表現の方が、強い説得力を持ちます。
学術論文などでは「異質化」が適しています。
原文の特徴や言葉に忠実に訳すことで正確性が保たれ、読み手はその違和感によって異文化に触れることができます。

受容化=意訳、異質化=直訳とも言えそうですが、実際には受容化でも異質化でも、文章の中では意訳と直訳が混在します。むしろ100%意訳もしくは直訳で成立する翻訳は無いでしょう。

翻訳内容に合わせて、アプローチとしての受容化あるいは異質化を選択し、その中で技法としての意訳と直訳を適切に使い分けることで、原文を最適な形で読み手に伝えることができます。

受容化の究極の例として挙げられたのが、夏目漱石の「月が綺麗ですね」のエピソードでした。

続きは次回で…

★このブログを書いている最中に、「国宝」の映画化が決まったというニュースが飛び込みました! 今月クランクイン、25年公開だそうです!!!